高校生や中学生など学校に通う人たちは必ず学校で授業を受ける必要がある。
また、君たち高校生や中学生は、ほとんどの人が受験というものを経験しなければならない。
そんな中、受験で「合格」という二文字をつかむために必死になって勉強するだろう。
そこで、君たちは「学校の授業というものが、本当に自分の受験ために役立っているだろうか?」という疑問を考えたことはないだろうか?
実は、君たちが一生懸命眠気を押し殺してノートをとってなどという作業が受験にとって邪魔になっているかもしれない。
ここでは、大学受験にとって学校の授業がいかに邪魔で、他にどんな効率的な勉強法が存在するのかということを解説する。
高校の授業の効率の悪さ
ここでは、学校の授業がいかに大学受験において効率が悪いかということを詳しく解説する。
ほとんどの人は授業が、効率が悪いなんて信じられないかもしれないが、これを読めばみんなが納得するだろう。
高校の授業による勉強のプロセス
高校の授業を用いた勉強には、以下のようなプロセスがあって、初めて新しい能力が身に付く。
1.高校の先生が授業という場を通して、新しい学習項目に対する情報を発信する。
2.先生の発信した情報をノートにまとめるなどの工夫をして記録する。
3.問題演習などの時間を通して、アウトプットによって完全に能力を身に付ける。
4.テストなどによって再確認する。
この4つのプロセスからなる。
まずは、この4つのプロセスの存在を認知しよう。
高校の授業で先生の話は聞く価値があるのか?
次に上で述べたプロセス1について考えてみよう。
プロセス1は、高校の授業での先生の情報発信である。
ここで、先生の授業での話は聞く価値があるものかどうかについて考えてみよう。
人の話の価値は数字では表せないので、その話がいかに貴重かという観点から価値を定義する。
つまり、その人からしか聞けない情報を発信している場合は価値があると判断し、その人の話している内容やそれ以上に優れた内容が、ネットは本やなどを通じていくらでも手に入る場合は価値がないと判断することにしよう。
この観点から判断すると、先生の授業の話は価値があるものだろうか?
少し考えればわかることだが、君たち中学生や高校生が習っていることは、学問的に数百年前にはもうすでに、確立されている分野である。
例えば、数学で習う微分積分法はニュートンの時代に、化学で習う高分子は1900年代にもう学問的に確率されていた分野である。
つまり、それについての情報源は参考書を含め山ほどある。
さらに、受験業界によって、それらをよりわかりやすくかみ砕いて説明してくれる受験用の参考書が山ほど書店に並んでいる。
つまり、高校の先生がいくら試行錯誤をして授業の展開を考えても、大学受験で使うための情報に関していうと、他に情報源はいくらでも存在し、聞く価値はあまりないのである。
(余談などの先生の個人的な人生観や意見については情報の独自性がまだある可能性が高いので、それについては聞く価値があるかもしれないという意味で、授業のすべてが無駄とは言っていない。)
授業での先生の情報をキャッチするのは非効率的
次に、プロセス2について考えてみる。
つまり、先生の発信した情報をキャッチすることについてだ。
これには、二つの重大な欠点が存在する。
一つは60分以上も先生の話を全て記録しておくことは困難だということだ。
おそらく授業というものに出たことある人なら、だれでも授業中に睡魔が襲い掛かるという現象を経験したことがあるはずだ。
ほとんどの人は授業中に耐え切れず寝てしまい、先生の話を全て聞き取れないということがあると思う。
また、仮に起きていたとしても、そもそも人が60分も話した内容を記録することは、ビデオでもとらない限り不可能だ。
これは、いつでも見たいときにわかりやすい説明が載っている参考書と比べたら参考書の方がはるかに便利である。
また、もう一つの欠点として、先生の情報発信速度以上の速さで自分が能力を身に着けられないということだ。
先生が話すスピードは当然先生が決めることで自分たちが決められない。
話すスピードというとあまりイメージがわかないかもしれないが、大きく見るとそれは授業の進度ということになる。
自分で参考書などを使用して勉強する場合、学習進度は自分が自由に決めることができる。
しかし、先生が情報発信する授業では学習進度は先生が決めて、自分は決められない。
学校ごとに学習進度は違うが、受験の日はほぼ同じ時期に設定してあるというのはかなり不平等である。
つまり、先生の発信した情報をキャッチするプロセスについても多くの欠点があり、場合によっては、受験においてかなりデメリットになってしまう可能性まであるのだ。
クラスのレベルの差の考慮は上位層と下位層にとっては迷惑
先ほどは高校の授業におけるプロセスの欠点について述べた。
ここでは、授業という形態自体がはらんでいる非効率性について考えたい。
授業というのは一人に対して行うものではない。
ほとんどの学校の授業では、40人程度のクラスという単位で行うものだ。
しかし、40人もいれば必ず能力の差がでてくる。
そんな中で、先生は上位層に合わせて授業を行うと、ほとんど人がついていけなくなる。
だからと言って、下位層に合わせていては、ほとんどの人が退屈になってしまう。
よって、たいていの場合、学校の授業は真ん中付近にレベルを合わせて行う。
しかし、それは上位層は退屈だし、下位層は訳が分からずつらいだけである。
つまり授業という自体がいろんな人にとってデメリットになってしまうのだ。
このように、高校の授業がいかに受験にとっては非効率的かということがわかっただろう。
学校の授業は4つのプロセスのうち2つに大きな問題をはらんでおり、また授業という形態自体にも大きな問題が存在するのだ。
授業以外の効率的な勉強法
では、このように学校の授業が大学受験を考えるときに邪魔になってしまうのであれば、どのように勉強すればいいのだろうか?
それは、参考書を使った独学による先取り勉強である。
ここでは、独学による先取り勉強法のメリットについて解説する。
独学による先取り勉強法とは?
上で授業のプロセスについて解説した。
それは以下の四つである。
1.学校の先生が授業という場を通して新しい学習項目に対する情報を発信する。
2.先生の発信した情報をノートにまとめるなどの工夫をして記録する。
3.問題演習などの時間を通してアウトプットによって完全に能力を身に付ける。
4.テストなどによって再確認する。
このプロセスで問題となった1、2を以下の様に変えてしまうのだ。
1.参考書から情報を獲得する。
このように、2つのプロセスが一つですんでしまうのだ。
それが独学により先取り勉強法だ。
学習速度が自分で決められる
この勉強法を使う一つのメリットは学習速度が自分で決められることだ。
先ほども言ったが、先生の話を授業で聞き取るということは、学習速度はすべて先生にゆだねられてしまい、自分で早く勉強したくてもできない。
しかし、この方法では、参考書から自分で情報を抜き取ることができるのだ。
この速度は、自分の理解力を上げれば上げるほど早くなり、先取り学習も十分可能である。
これはかなり大きなメリットである。
先取り学習は大学受験で有利になる!
これは2.2で述べたメリットとも深いかかわりがあるのだが、先取り学習が可能ということは、大学受験においてかなり有利になる。
特に東大などの難関国公立私立の大学受験では、二次試験の対策に非常に時間がかかる。
よって、基礎的な勉強を早めに終えて、早期に二次対策に移ることが合否を大きく分けるのである。
ここで、受験に使う基礎的な知識のインプットが終わるのが遅れれば遅れるほど、二次対策を始める時期が遅れてしまう。
つまり、受験に悪影響を及ぼすのだ。
これは、特に学習進度が遅い公立高校で問題になる。
しかし、何度も繰り返すが、授業に頼らない参考書による先取り学習は、自分で学習速度を決めることができる。
つまり、学習範囲の終了の時期は自分の頑張り次第でいくらでも早くできて、授業の進度に影響されず、早期に二次対策などの本格的な受験勉強を始めることができるのだ。
(参考記事→東大受験の仕組みと対策を、現役東大生が受験初心者向けに解説してみる)
自分の理解力も同時に鍛えることができる。
人の話を聞いて情報を得るのと、本を読んで情報得るのとでは、どちらが難しいだろうか?
平均的な学力を持った人なら人の話を聞く方が簡単だという。
確かに、先生の授業を聞いた場合の方がわかりやすいこともあり、それが授業のメリットでもある。
しかし、参考書の方がわかりにくいというのはデメリットにはなり得ず、とらえ方によっては、大きなメリットになり得る。
というのは、より難解な参考書の情報を理解できる能力というのは、大学受験においてかなり有利になる。
国語や数学などは、より大学のレベルが上がるほど、難解な物事を理解して説明する力というものが必要になってくる。
それを学習の過程で身に付けることができることは、まぎれもなく大きなメリットである。
以上の様に、先取り学習の主なメリットは3つ存在するが他にも多くのメリットが存在する。
是非実践してみよう。
まとめ
これを読んだ高校生諸君は、大学受験において高校の授業がいかに非効率的で邪魔になるか分かったと思う。
また、授業以上に効率的な学習方法があることもこの記事を読んでわかっただろう。
ここで、学校の授業のすべてを否定しているわけではないが、大学受験ということを考えるとやはり、参考書を用いた独学の勉強法が授業に比べてはるかに効率的である。
ぜひ、高校生諸君は今一度、学校での授業というものをよく考えて、自分の大学受験にとって必要なものを考え直してほしい。
(celly 東京大学理科二類在学)